「You は何しに日本へ!」というテレビ東京のバラエティー番組で秋田県の男鹿半島の伝統行事「なまはげ」が大好きなトルコの女子高校生が日本で「なまはげ」を体験していました。現在、男鹿半島では過疎化が進み、子供が減少し、そのテレビ番組でも学校に生徒が2人だけという状況でした。そして、2月の伝統行事に合わせて里帰りをする若夫婦もいましたが、各家々を回る「なまはげ」を家の中まで入れてくれる家庭も少なくなったそうです。本来は村の各家を全部回って部屋の隅々をお祓いしてもらい、そのお礼にごちそうをふるまっていたそうですが、現在は玄関先でお祓いをしてもらい帰ってもらう家がほとんどだそうです。「なまはげ」は鬼の形相をしていますが、そもそも鬼ではなく神様なのです。怠け心を戒め、無病息災、田畑の実り、山の幸、海の幸をもたらす年の節目にやってくる来訪神なのです。そして、各家々に入り、邪気を取り払ってくれるありがたい神様なのです。その中で「泣く子はいないか?」「悪さをする子供はいないか?」「嘘をつく子供はいないか?」と親から泣きじゃくる子どもを離し、脅して本音を吐かせて回るのです。子供に「もう悪いことはしません。ごめんなさい。」と言わせることが一つの目的のようです。泣きじゃくり、怖がる子どもが可哀そうと言って家に入れない若夫婦もいるそうです。しかし、それは本末転倒なのです。優しい親に代わって、社会(地域)が子どもたちを怖がらせ、泣かせて、悪いことをしない人間にする(地域社会に悪い影響を与えない)ことが目的なのです。村の掟などの約束事を守らせ、治安維持のため、地域全体で子育てをしている行事なのです。この番組を見て私は昔ながらの本来の親の在り方や、村、地域の在り方を垣間見たきがしました。
都会の現代社会は地域の教育力が低下しています。学校も、町内会も、PTAもその教育力は個人の権利とかいう利己的な人権で崩壊している状況ではないでしょうか?モンスターペアレントやモンスターチルドレンなど他人に叱られることなどなく家庭内でほめてほめて育てられ、好きな事だけをやりたい放題してきた人たちが、大人になって自分勝手な権利を主張するのです。除夜の鐘がうるさい!町内会の餅つき大会は不衛生だ!男鹿半島の「なまはげ」の行事は子供たちが可哀そう!…時代が変われば、思考も変わる?…果たしてそうでしょうか?世の中は常に変化していますが、私は人間の思考だけは昔も今もあまり変わっていないように思います。モンスター〇×はただのわがまま、自分勝手な主義主張を言える時代になっただけのことです。万一、戦争が始まったり、甚大な自然災害が起これば彼らの主張は全く意味をなさなくなります。野菜が食べられない!虫(ゴキブリ・クモ・ハエなど)がきらい!トイレが汚いくて入れない!お風呂に毎日入れないなんて信じられない!現代社会に慣れ切った超衛生的な家の中でぬくぬく育った子供たちが言いそうな言葉です。
私たち大人は、協調性があり、好き嫌いをあまり言わず、我慢強い子どもを育てなければなりません。こんなことを言うとまた似非教育評論家が「否定ばかりしていると自己肯定感がなくなって委縮した人間になる」といわれるかもしれません。しかし、躾けに関して言えば、厳しい躾けが将来子どもにとってプラスになったケースは多々あると思いますし、その躾を親だけに頼るのではなく、地域や集団の中で培うことも重要なのです。現在、体罰という言葉で、優秀なリーダーや指導者が次々と職を失っている現状です。本当にこれで日本社会はいいのでしょうか?北欧の教育がすべて正しいのでしょうか?相模原市の障害者施設でおきた殺人事件の犯人(植松被告)はいまだに反省をせず「障害者(心失者=意思疎通の取れない人間)は社会に不必要だ!殺害はただしい判断だった」と今も主張しているそうです。確かに、第二次世界大戦のとき、ドイツのヒトラーが障害者を大量に虐殺したことがありました。戦わない彼らに税金を投入するのは無駄というのが理由だそうです。そこで恐ろしいのはその考えに国民が賛同したことなのです。多くのユダヤ人が殺されたように同じことが障害のある人たちにもおきたのです。たった一人の独裁者の利己的な発想が国民の後押しで大量の弱者を殺したのです。悪いことは悪いと厳しく叱れない風潮の日本もいつかこんな利己的・自己中心的な指導者が出てくるかもしれませんね?そんな時私たち国民は「長い者には巻かれろ」となるのでしょうか?自分の手塩にかけた子供が戦争で死ぬかもしれないのに・・・・・