幼少期の子育てに「デジタル化」は危険?

若い夫婦に告ぐ「幼少期の子育てにデジタル化は不要」

最近二人の生徒が塾を辞めました。一人の生徒は、友達のお金を盗んだり、コンビニでめちゃくちゃなことをして、辞めてもらいました。もう一人は、あまりにも勉強する態度・姿勢が悪く、厳しく怒られていた時の教師の言動が気に食わず親に辞めさせられました。

二人ともADHD(注意欠陥、多動性障害)の疑いがある生徒でした。ADHDとは一種の発達障害のひとつです。特徴的な症状として、年齢に見合わない「不注意さ」、好きなこと以外に対する集中力がなくほとんど関心や興味をしめさない「多動性」、思いついたことをよく考えずに即座に行動に移してしまう「衝動性」がみられます。

授業中の集中力がなく周りの生徒に迷惑をかけたり、教師の指示を何一つ聞かず、勝手に物事をすすめてしまい、「わからない」を連発する。集団で勉強するという以前の問題が内在していました。両家の親(母親)には、父母面談の時にそれら様々な不適応をお伝えして、普通になるまでかなり時間(1年~2年間)がかかること、時には厳しい対応をするかもしれないこと、また、体罰も辞さない態度で本人と本気で向き合うことになるかもしれません。と説明していましたが、立ち直る前に辞めてしまいました。

そもそも、勉強以前のこととは何か。文章が読める、静かに椅子に座る、人の話を聞き理解する、学習時にはノートや鉛筆、消しゴムを使う、ノートに文字(漢字を含む)を書く、足し算・引き算・掛け算の計算ができるなど学齢児童なら当たり前の能力です。小学校低学年から読み・書き・計算を繰り返してきたわけで、その過程でノートの使い方や文字の書き方等を学校の先生のみならず、親にも指導してもらってきたわけです。にもかかわらず、超基礎的な読む、書く、計算(足し算・引き算)ができず、ノートの使い方、鉛筆の持ち方すらも知らないで中学生になる子供が増えているように感じます。最近では筆圧が弱くて、6Bの鉛筆を使用させている学校もあるようです。分数の計算や小数の計算ができない以前の問題なのです。勉強以前のしつけや基礎学力の訓練を家庭で行わないで、保育園等で他人任せにし、家ではこどもをあまやかせ、勝手でわがままな子供に育てたのは、まさしく親なのです。この事実をもっと客観的に考える必要があります。厳しさが足りない家庭で育った子供は問題行動を起こす可能性が高いのは当然なことなのです。それは親の責任なのです。「三つ子の魂百まで」とはまさにその事なのです。

最近の子どもの特徴で特に気になるのが、①「記憶力が悪い」ということです。短期記憶だけでなく、長期記憶も悪いように感じます。自分の携帯の電話番号を覚えていない、自宅の住所すら覚えていない子供がたくさんいます。同じことを3度繰り返しても記憶として定着しない生徒も増えました。昔は遊びで山手線の駅をすべて覚えたり、東海道53次の宿場町を競って覚えたものです。(少し古すぎ?)最近?ではポケモンのモンスターをみんな子どもたちは競って覚えたものです。②①に関連するかもしれませんが「物を良く忘れる」生徒の増加です。何度も注意を促しても一向に改善しません。6年間宿題を忘れ続けた生徒もいました。もちろん、忘れ物の中には「宿題」も含まれます。テキスト、宿題のプリント、教科書、筆記用具などなどあらゆるものを忘れます。忘れても悪い素振りをみせません。宿題の確認をする前に、宿題のプリントを自分のカバンから探すのに一苦労です。勉強が苦手な子どもの特徴として「カバンの中が整理整頓できていない」ことも共通点としてあります。③「集中力がない」のも気になります。すぐにトイレに行く子が異常に増えました。昔は、他人の家のトイレ(外のトイレ)を借りるのに躊躇して、なるべく自宅で用を足してくることが当たり前でした。しかし、最近の子どもは30分に1度のペースでトイレに駆け込みます。それも、問題を解いてひと段落してではなく、途中で行くのです。また、自分がひと段落すると隣の子に話しかけたり、他の子が勉強に集中しているのに話しかけたりと、他人を思いやることもしません。これは女の子より男の子が顕著です。④「自分で考えない」生徒。当塾では、まずはテキストを見て、自分で考えさせていますが、それでもこちらがアプローチをしなければ黙ってジーとしている子がいます。また、すぐに「わからない」と音を上げる子、すぐに答えを知りたがる子、解答のプロセス(解き方がわかる)がわかる感動よりも答えがあっている感動を優先させます。

以上、なぜこのような勉強以前の問題が多く見受けられるのでしょうか?いろいろなことが複合的に影響しているのでしょうが、私はこの最大の原因は、社会のデジタル化だと個人的には思っています。「子育ての結論」から言うと「幼児期からテレビ・ゲーム・タブレット(2次元)デバイスによる子育てはやめましょう」ということです。よくある風景が、レストランで複数の家族がランチをしているのですが、親の井戸端会議の横で、子どもたちがゲーム機に夢中になっている光景です。「デジタルデバイス」では子育てはできません。携帯電話やゲーム機、PC(タブレット含む)を与えるのは中学生からにしてもらいたいのが私の本音です。現実には小学校の教育現場でパソコンやタブレットの教育が行われるようになりました。大手企業もこぞってデジタル教育を推奨しています。世の中(社会)の流れが競ってデジタル化へと進んでいます。デジタル先進国に後れを取っているかの如く国をあげているのが現状です。しかし、そんな国々で今大きな転換点がまた来ています。OECDの先進国の学力調査で、スウェーデンなどの北欧で学力の低下が問題になりました。デジタル後進国の日本は現在でも上位を占めています。この現実をどうみるのでしょうか?そして、先の国々は急遽教育のデジタル化を止め、紙と鉛筆(ペン)と黒板の教育、アナログ教育に変更(戻し)しました。日本は逆にデジタル化へと邁進しています。社会構造的に社会全体のデジタル化は必要かもしれませんが、子どもの、特に幼児期の子育てや教育にはデジタル化は必要ないと思います。現在、社会保障制度が最も進んだもっとも幸せな国スウェーデンでは、学力が低下し、自殺者も増加、学力が低い若者がギャングになり、犯罪大国となってしまいました。社会のデジタル化をいち早く進め、環境を配慮した自動車のEV化したにも関わらず、このありさまなのです。デジタル化先進国??中国やドイツも日本をしのぐほど経済的に発展しましたが、今の現状はどうでしょうか?両国では大失業時代に突入しています。ものづくり大国ニッポンはこれからも優れたいいものを創り出す国として発展していくはずです。そのためには、幼児教育には、体験を重視した教育、手作りの教育、個人よりもみんなを大切にする(共感・協調性)教育が必要だと思います。確かに、個人の尊厳を優先する教育も大切ですが、その前に人間は社会的な生き物であるということを忘れてはいけません。優れた物(社会)を創り出すためには一人だけでは作れません。色々な知識や技術を持った人たちが集まって、共同作業が必要なのです。これが人類の発展の歴史なのです。

子どもたちの「記憶力の低下」「集中力の欠如」「物忘れの多さ」「思考力の停止」等をすべてデジタル化が原因だというのは無理があると思いますが、その一端を担っていると考えることは今の現状をみれば容易だと思います。

スペインで活躍しているサッカーの久保選手は、テレビのインタビューでこんなことを言っていました。あなたの趣味はと聞かれ「本をよく読むことと、サッカーが好きなのでいろいろなサッカーの映像を見ています。」ゲームとかはしないのですか?と「そういう家庭環境ではなかったのでゲームはしません。」ときっぱり、メジャーリーグで野球殿堂入りしたイチローもテレビの中で最近の日本の高校野球選手にこんな助言をしていました。「君たちは、技術も、体力も、野球の戦術眼もみんなそろっている。しかし、その前になぜ野球をするのか?考えたことがあるか?つねに行動する前に自分で考えろ。それが大切だ。自分で考えること。」と…たぶんこんなような内容だった…決められたこと、監督から言われたこと、練習の内容などすべて完璧にこなして今の地位にいるけれども、それはあくまで他者からのもので、自発的なことではない、もっとうまくなりたければ「自分の頭で考えることだ」と…そうだよね~と私は常々生徒に話しています。

私がタブレット教育に反対する理由をもう一度おさらいします。まずは「記憶力の低下」を招くこと。タブレットはすぐに解答が表示され、次のステップへすぐに移行してしまい。記憶を留めておくためにその形跡を残さないこと。失敗しても、成功してもその形跡は瞬時に削除されます。また、モバイルのように、記憶させる媒体でもあり、自分で記憶の必要がなくなります。「集中力の欠如」、皆さんもスマートフォンをお持ちの方ならわかると思いますが、YouTubeやらLineやら、何時間もスマホを見ている状態が続きます。これは集中しているように見えて、実は気が散漫になっているのです。何か面白いことを次々と探すことに夢中になっているのです。アドレナリン効果なのです。ゲームのように楽しそうで軽快な音楽とともに学習が繰り返されるのです。学習や勉強に楽しさは必要でしょうか?昔なら「~ながら勉強はやめなさい」と叱られたのです。最後にこれが一番重要かもしれません。「思考停止」です。あらゆるものが親からあてがわれ、自分の頭で何も考えないようになります。ゲームに代表されますが、先に進むには試行錯誤を繰り返すだけなのです。つまり、成功するまで、瞬時に失敗を何度も繰り返せるということです。そこには厳しさもなければ、わかる喜びもありません。クリアーした達成感だけで、知識として定着はしていません。つまり、ゲーム感覚なのです。試行錯誤は学習においても実は非常に大切です。人類はこの試行錯誤を繰り返して現代社会を築きました。しかし、それは各自が「自分の頭」で考え、そして、行動(動き)し、自分の体で体験(経験)してきた試行錯誤なのです。他人から一方的に与えられ、誘導され、生産性のない(興奮するだけの)試行錯誤ではないのです。ここに大きな差があります。これが幼児期からのデジタル化に反対する理由です。デジタルを創造する側ではなく、デジタルに従う側になってしまう危険があるということです。スマホ脳という本があります。まさに、そのことなのです。