愛のムチ(体罰)と自己中心性

愛のムチ(体罰=暴力)と自己中心性

私は決して暴力を肯定しているわけではありません。昔、2,000人規模の塾で指導していた時、指導の一環として暴力(体罰)が日常的に行われていました。それは、短期間で結果を求められていたからです。小学受験の指導の時で、誰も暴力が悪いことはわかっています。暴力なしでことが進んでくれたらこんな楽なことはありません。宿題を毎回どの教科でも忘れる。テキストやプリントさへも持ってこない。授業中無駄話を友達とする、関係ない質問をして授業を中断するなど、受験というストレスからくるものなのかわかりませんが、教師が注意しても聞きません。これでは、成績が伸びるわけもなく、中学合格という結果にも結びつきません。ですから、当時の教師たちは生徒に言うことを聞かせようと体罰を繰り返していました。裏を返せば、当時みんな若かったせいか、是が非でも模擬試験の成績や実力をあげ、志望校へ合格させてあげたい一心で厳しく授業に臨んでいたのです。もちろん、親からは「よろしくお願いします」「先生たちにすべてをお任せします」と私たち(教師)を信頼してもらっていました。体罰によるクレームなどまったくありませんでした。それは親も受験生も「宿題を忘れた自分(子供)が悪い」と理解していたからです。

「体罰をしなくても子供たちは変われる」「授業の仕方次第で子供は集中する」とかいろいろ正論を言う人がいますが、それは時間的な余裕結果を求めなくてもいい人の言い分です。いわゆる、学校の先生方や教育を研究している大学の先生たち発言です。受験(特に小学生)の現場はかなり厳しいのです。能力の差、精神的、肉体的な個人差、経験値の差、生活環境の差などいろいろな子どもたちがいるのです。集団で授業する(個別でも同じ)にはあまりにも差がありすぎるので、よって、能力別クラス編成するのが塾のやり方です。それでも、個人差がもちろんあります。頭が良くても、だらしがないとか記憶力が悪いけれど非常に丁寧だとか、能力は十人十色なのです。私たちが体罰をしなければならないのは、授業を成立させるために〇×忘れがひどい時や教師の注意に耳を傾けない時だけです。それも、愛のムチ(体罰)は小学生だけでした。中学生以降は諭すしかありません。言葉で注意しても分からなければその子の自己責任です。私たちは生徒(中学生以上)たちを大人とみなす必要があるからです。

鉄は熱いうちに打て!まさに、しつけは3歳~5歳までにしっかりしてほしいというのが教師たちの願いです。宿題忘れ、物忘れ、自分中心に物事を考える自己中心性は、何気ない日常生活から生まれるのです。正直申し上げると受験を意識する前までに(塾へ来る前までに)厳しく躾けてほしいのです。本を読まなくても、知識欲がなくても、欲求不満耐性だけは身に着けて塾へ来て欲しいのです。また、核家族化にも問題があります。子供の人数が減ったので、子供にかかわる親の時間が増えたのです。そして、子供中心の生活が、自己中心性をはぐくんでいるのです。さらに、最近では怒られ慣れていない子供が多すぎます。これは、「自分がなぜ怒られているのかわからない」ということです。自分の行動や考えのどこが悪いのかわからない子供が増えているのです。「怒られる・注意される→行動を改める」ではなく「怒られる・注意される→相手がむかつく・反抗する」となるのです。この事例は特に最近の子供たちに顕著です。

それも、大学でも、有名な高校でも、よく聞く話となりました。お金を払って大学なり、高校へ通っているのに、なぜ教師に怒られなければならないのか?学校は勉強を教わる場所で、叱られる場所ではないというのでしょうか?宿題を忘れても、授業をまともに聞かなくても、それは自分次第(自分の都合)であって、テスト結果がよければ、それを咎める権利は教師にはないということでしょうか?…このような考えの人たちに教育など成り立たないのは明白です。このような性格(個性)を作り上げたのも家庭教育の中でのことなのです。中学2年のある男の子は、宿題忘れが多く、厳しく注意したその帰り、注意をした塾教師のバイクに唾をはいて帰りました。高校2年のある女の子は、アルバイトのことで勉強に支障をきたすので、塾の日にアルバイトを入れないでと注意したら、注意したその晩に親から塾を辞めるという連絡がありました。???これでは何も言えません。子供たちの将来を考えての忠告も、相手の受け取り方が自己中心的な場合はまったく意味をなしません。

話がかなりそれましたが、「ダメなものはダメ」と言い、わからなければ体罰も辞さない体験をさせるのが幼少期なのです。怒る厳しい教育ではなく「ほめる教育」とばかり、甘やかして、子供中心の生活をすると、上述したような大人になるのです。幼少期から好きなものはどんどん与え、やりたくないことはやらせないで生活すれば、だれでも自己中心性を保持したまま大人になります。そんな大人たちが起こしてる犯罪が最近では目に付くようになりました。慶応大学で、女の子にお酒を飲まして酔わせて集団で強姦する事件(不起訴となりましたが?)、国立の千葉大学で、中学生の少女を数年にわたって拉致監禁した事件、外国人女性を殺して、整形までして逃げつづけた医大を目指した浪人生の事件などなど、立派な家庭に育った優秀な学生たちでも犯罪をする時代となったのです。当学館でも慶応大学出身のアルバイトの学生を、自分勝手な行動をしたため(勝手に自己都合で無断欠勤重ねる)辞めてもらいました。

物忘れをしない子になるには、人の話をよく聞く子になるには、好奇心が強い子になるには、我慢強い子になるには、協調性のある子になるにはどうすればいいのか?ご両親も社会に出てればある程度感じているはずです。世の中でリーダーシップをとっている人たちの共通点は遊び上手で、話が上手で、何か自分のこだわりを持っている人ではないでしょうか?そして、いろいろな苦い経験(多くの失敗や挫折)を数多く繰り返してきた人ではないでしょうか?そういう人の話を直接聞くと、大変興味深く、その場が盛り上がるものです。では、どうすればそのような人材を育てられるのか?…つづく…