現代社会病理「ひきこもり」という甘え

川崎市登戸で起きた小学生襲撃事件と元農林水産省事務次官の長男殺害事件から

川崎市登戸で起きたカリタス小学生が襲われた事件、元農林水産省事務次官が長男を包丁で刺した事件。51歳の容疑者と44歳の長男に共通していたものが、外部との接触を極力絶ち、家庭内暴力など近寄りがたい者という性格(人格)であった。そして、「ひきこもり」という生活をしていたことだ。

驚いたことに、テレビ報道では現在「ひきこもり」状態の人たちが60万人~100万人も存在しているということだ。その氷山の一角で犯罪が現実に起こってしまったのだ。この事件を契機に「ひきこもり」に関する専門の相談機関に電話が殺到しているそうだ。それも「ひきこもる」年齢が10代~20代よりも40歳を越えてからひきこもるケースが多いという現実である。社会のストレスからの解放・逃避によるものであるが、「いじめ」による不登校が原因ということは一概には言えなくなってきた。

私は、学生時代からこのテーマに関心があり、「家庭内暴力と教育の崩壊」が私の卒業論文でした。なぜ、家庭内暴力が起こるのか?その要因は何かを研究してきました。そして、現在、その要因の結果としてこのような事件が発生していると確信しております。

では、なぜ、「ひきこもり」が存在しているのか、私の勝手な結論からいうと「すべて子育て(幼少期)における甘やかし」が原因であると思っています。確かに様々な生活環境の違いもあり、一概には言えないが、上記の事件の2人をみると、就業年齢にもかかわらず自宅の部屋にこもっても生活ができる環境にいるという事実である。つまり、親ないしは親族らが彼らを養えるだけの経済的豊かさをもっていることである。贅沢病の一種であると私は感じている。

これもつい最近ネットで読んだことだが、フジテレビが川崎の事件の容疑者の生活環境で「スマホやパソコンはなく、テレビやゲーム機、パーソナルなDS・PS4が押収された」という報道があった。ネット上では「こんな情報はいらないよね、テレビゲームが犯罪の元凶みたいになっているけど、全国の家庭で普通にあるし…」というチャットが複数ありました。確かに、ゲーム機の普及率は一家に一台あるかもしれません。私も最初は「うんその通りだよ」と思いましたが、この事実もまた恐ろしいと感じました。それは、パーソナルなゲームが悪いのではなく、「一人でも遊べてしまう」という状況を人間に提供したのです。そのことに気づかされたのです。

子どもたちに「外で遊べ!」というのは「他人とコミュニケーションをとって関われ!」ということを意味しているはずです。友達をつくって、喜怒哀楽を共有し、人格形成を図って欲しいのです。家庭の中だけではそれは無理なのです。スポーツをするのも習い事をすることもまた同じことです。さらには、「自然環境を観察して、自然の緻密さや偉大さを感じ取って欲しい」というちょっと大それた考えもあったのです。そうです。本来人間は社会的な動物で、他人との関わりの中で自分の存在意義を見出し、他者のために仕事をするのです。つまり、仕事を通して社会貢献をしていく存在なのです。

ところが、パーソナルのゲーム機とは全く他人と関わらなくても、楽しめる?時間を費やせるのです。まして、生産性などまったくありませんし、自己満足の世界しか提供しません。将棋や囲碁の世界でも一人ではできません。基本的にゲームというのは複数で競うから楽しいのです。もちろん、対戦ゲームというジャンルもありますが、それもやり方次第では他人とかかわらずにできてしまうのです。全く一人の世界に没頭できる時間をゲームという機会が人間に提供したのです。

「ひきこもり」は、幼少期からあるわけではありません。幼少期からの親の甘やかしで学齢期になって発症します。小学生低学年のころはまだ親にも余裕があります。ところが中高学年になって子どもが勉強につまずきかけてきたあたりから、親の態度が急変し、子供との関係がギクシャクして中学生あたりで「ひきこもり」が始まります。それはちょうど子供の思春期特有の反抗期ともダブります。反抗期は不規則におとずれ、個人差も多々あります。最近では、食生活の変化や子育ての変化でその幅が広がっているように感じます。昔は中学2年生と高校生などと期間が狭かったのが、現在では小学生から大人まで反抗期は続いているようです。今まで「甘やかし」続けたのに、突如、勉強ができなくなると、親が口うるさく怒りはじめます。そして、その親の「しつこさ」から子供は逃避行を始めます。いろいろなパターンがあると思いますが、結局、今まで子どものためと思い、好きなようにさせてきた(甘やかせてきた)ことが、こどもの欲求不満耐性を失わせ、将来に向けての希望や夢を探す手立てである勉強(学習する)意欲も奪ってきたのです。さらには、躾けという本来社会集団の中で最も大切な基本姿勢をも家庭で培ってこなかったことも「ひきこもる」原因なのです。いわゆる「いじめ」に合う子供たちの多くが自己中心性という性格をもつ特徴があります。自分勝手な性格が、社会集団になじめず、孤立してしまうのです。勉強ができず、自分勝手、好きなことしかやらない、自分の居場所がわからずに孤立する、自分の思い通りにならないとすぐに切れる、これらの要因が他人との関係を悪化させ、「ひきこもり」にむかわせるのです。

子どもが小学生や中校生までは、親の力の方が強いので厳しく言えるが、高校生で体が大きくなって抵抗力が強くなると親もあきらめざる負えなくなります。その結果、食事は親が部屋まで運ぶ。言葉を交わさない。子供の言いなりになって何でも買い与える。子どもを腫れ物にさわるような感じになり、手を出せなくなります。最悪の場合、親の年金で生活している50歳代の「ひきこもり」も数多く存在するのです。この辺のことは次の書物に書いてあるので、参考にして下さい。また、今回の事件はまさにこの典型的な事案です。

「子供の死を祈る親たち」 押川 剛著  「子どもが壊れる家」 草薙厚子著

今回の事件の二人の予備軍が実は60万人以上いるということを自覚しなければなりません。結局のところ、親は自立できない人間を育ててはいけないのです。「甘やかし」は自立を阻害するのです。子供が幼い時に厳しく躾けをし「ダメなものはダメ」と我慢をさせるべきです。親は自分の進むべき道をしっかり歩き、自信と誇りをもって生きるべきです。決して「子供中心の生活」をしてはいけません。「鉄は熱いうちに打て!」そして、親が命を懸けて子育てをして欲しいと思います。私は「教育とは子供を自立させること」だと考えています。勉強を教えること、有名進学校へ入れることでは決してないのです。有名大学へ行っても「自立」できなければ人として問題があると言わざる負えません。そして、「自立」の一つの手段として勉学があるのです。正直、学校とは理不尽な場所の典型です。無理やり集団行動を強いられ、教師の個人的な見解で授業や行事が行われ、さらには客観的事実に基づかない手法で勝手に成績がつけられる。しかし、徴兵令のない今、逆に、それは社会に出ていくためには非常に大切だと思います。そういう理不尽な場所を経験してこそ社会に出たときにどうすればよいかを自分で判断できるようになるからです。学校に行かないで不登校になることは決して正しいことではありません。人権養護とか「いじめ」撲滅など専門家は言うかもしれません。社会集団の中でしか人間は生きていけなのです。その集団から逃避していては身を亡ぼすことになります。まして、今回の事件のように他人を巻き込んで自殺するなんて、自己中心的というしかありません。

子供を「甘やかさないで下さい。」「子どものいいなりにならないで下さい。」「ゲーム機で子育てをしないで下さい。」港北学館からの切なるお願いです。

参考文献 「ほめると子どもがダメになる」 榎本博明著

追伸 私が中学受験の勉強をやらない理由の一つに、こんなことを聞いたことがあるからです。

有名中学校に6年間在学し、慶応大学へ通っているアルバイトの学生が塾の忘年会でこんなことを口にしていました。「学校に、変な人はいないよ。みんな一様に勉強できるし、いじめをする暇があったらみんな学業やスポーツを優先する。もちろん、不登校や先生に抵抗する不良という人たちもいない。平和な学校でしたね」と…とても素晴らしい理想的な学校だと思う反面、いろいろな個性の人たちがいて世の中なのに、こういう進学校には「一様な人たち」しかいないのか…こういう人たちが大人になって、社会に出たら社会的弱者(いわゆる負け組?)の気持ちを理解してくれるのだろうか?社会を変革してくれる人になってくれるのだろうか?幕末の坂本龍馬や西郷隆盛のようになれる逸材が出てくるのだろうか?疑問を持ったからです。