下記のツイッターの文章が世の中に少し反響を与えました。
夏休みが終わり、9月から学校が始まる頃になると「自殺」する生徒が増える傾向が近年見受けられます。
世論でよくある「無理して学校に行かなくて良いんだよ」というアドバイスに対する彼の主張に私も共感しました。
彼は、学校に来てはいけないのは「いじめ」を受けた被害者ではなく、「いじめ」をした加害者の方だという主張です。まったく、その通りです。筋が通っています。しかし、世の中は昨今そうではないようです。権力者が絶対で、権力者の利益が優先されるのです。社会的「弱者」を擁護するのではなく、社会的「強者」に忖度するのです。
多発する高齢ドライバーの事故の中で、元通産相の高級官僚が起こした死亡事故、この事件では加害者である高齢者は事故後も何故か逮捕されず、容疑者にもならず、その後どうなったのか報道もされなかった。ネットでは「第1国民」の証しとまで揶揄された。
準強姦罪で訴えられたTBSの元幹部職員や慶応大学のサークル内での集団強姦の学生たちも、結局不起訴処分として無罪放免となった。そして、極めつけがやはり森友学園や加計学園獣医学部創設をめぐる、阿部首相や妻昭恵夫人への隠ぺい工作、自殺者がでたにも関わらず、嘘を通すために多くの議員や公務員が忖度した。
私の塾でも実は「いじめ」がありました。親同士の話し合いで一応は解決したのですが、「いじめ」られた被害者の方が塾をやめたいと言ってきました。それはおかしな事で続けるようにアドバイスをしました。そして、「いじめ」た側の加害者の方に辞めてもらい、被害者の方は無事高校に合格し、卒業していきました。
以下 問題のTwitterの記述です。
春名風花 official✔@harukazechan
今年もまた「8月31日の夜に」というタグで来週あたりからいろんなメッセージが発信されると思うのですが、僕の知ってる学校はほとんど明日が夏休み明けの始業式です。なので舞台本番期間中ではありますが、今晩は少しだけ僕からのメッセージを聞いてください。
毎年この時期になると「無理して学校に行かなくて良いんだよ」というツイートがタイムラインに溢れます。一見優しい言葉に見えますし、緊急対応としても間違いではありません。でも、「学校に行かなくてもいいんだよ」と言うメッセージは、本来、いじめている側にかけるべき言葉です。
他人の学ぶ権利を邪魔するのならば、学校には来ないでください。いじめなんてせず、真面目に学校に通いたい人達の迷惑になります。そして、いま現在いじめを受けている皆さん。あなたがたには堂々と学校に行く権利があります。誰にも遠慮せず学ぶ権利があります。その事を絶対に忘れないでください。
学校から追い出されるべき生徒は、いじめを受けた子どもではありません。学校に残さなければならないのはいじめをしていない子どもたちです。「つらいなら学校なんて行かなくて良いんだよ」と、いじめられた側を追い出して、何事もなかったように学校生活を送ろうとする人達を、僕は絶対に許せない。
なので、夏休みの終わりに声を大にして書いておきます。「いじめをするのなら、学校なんて来なくても良いんだよ」
クラス全員で1人をいじめたのなら、被害者1人だけに登校する権利がある。数なんて関係ない。多数の加害者を学校に残し被害者を追い出すのはおかしい。集団生活を送る上で「他者を攻撃しない」「他人の権利を侵害しない」という最低限のマナーを守れる人だけが、学校で学ぶ権利を有していると僕は思う。
この記事に全く同感です。「いじめ」をしたものが学校へ平然と通っているのは間違っています。出席停止ではなくても、何らかの社会的制裁をうけなければ、この子たちが大人になった時、また同じ過ちを繰り返すことになります。今、日本の学校教育の現場ではこの事実に目を背けています。もちろん、「いじめ」を見抜けなかった学校の職員やその管理責任者である校長や教頭も責任を取るべきだと思います。もし、一人でも自殺者が出たのなら、担当教員や校長は懲戒免職させるべきです。子供たちを預かる大人がそのことを見落とし命を奪ったのですから。そのことの重大さを大人も感じなければ決していじめはなくなりません。そして、また一人犠牲者が出るのです。
「いじめ」は子供特有の精神構造だと考えます。ですから、幼少期からその繰り返しの中で親や教師たちがその事実をきちんと把握し、常に矯正して常識ある優しい大人へと子どもを成長させていかなければなりません。そのためにも、責任ある行動を大人も子供もとらなければなりません。多くの「いじめ」の加害者は、その痛みがわからず、反省もしないので、人が死んでも他人事、死んだ奴が悪いと決めつけているかもしれません。そして、自分勝手で自己中心的な大人になるのです。「いじめ」られた生徒が、教師に「おまえにも悪いところがあっただろ」と言われるように…