「防衛大学校の闇」エリート学生の試練?

それとも真面目に生きてきた代償?

日本テレビで作成した「防衛大学校の闇」という番組を見ました。いわゆる「指導という名の陰湿ないじめ」「指導という名の暴力」「上級生に絶対服従」が蔓延していて、それが日常化している現実とそこから逃げた者は「根性のない者」「腰抜け」というレッテルを張られ、さらに追い込まれるという。これが防衛大学校の「指導の伝統」だという。4年生が神様で、1年生がゴミ以下、奴隷などと考えられ、「指導」という名の下で様々な陰湿な体罰が横行してることが報じられた。この大学を精神的苦痛で途中退学したN氏が、彼を「いじめ」た実行犯(上級生・教官)8名を裁判に訴えたことで、この闇が表ざたになった。

防衛大学校とは、自衛隊の幹部候補生を育てるところで、国から給与をもらいながら無料で勉強できる場所である。国民の税金で生活も勉強もできるので、大変人気も高く、偏差値も高い。また、これは個人的見解だが、この学校に通う生徒はいずれ日本の自衛隊のリーダーとなる逸材なので、女性から「もてる」のである。…以前、私はこの近所に住んでいました。文化祭になると大勢の女性が結婚相手を探しにやってくることでも地元では有名であった。

放送では、結局実行犯8名には10万~30万円の罰金刑が課されただけで、判決の一部では「いじめ」という行為が「指導」であり、犯罪性はないと判断された。だから、実行犯の全員が卒業後、幹部候補生として自衛隊に配属されていった。さらに、生徒を管理・指導する立場の教官も不問に付された。私たちから見れば「悪しき伝統」が国(司法)から容認された形だ。「指導」という名の下で「いじめという暴力」が容認される。まるで戦時中の軍隊のようだ。どんなに理不尽で、どんなに卑劣な行為でも、上司の命令に逆らえない。これが日本のトップの軍隊訓練教育なのである。これでは個人の尊厳とか個人の権利などこの集団では存在しえない。よって、あの太平洋戦争での「神風特攻隊」や「回天」(人間魚雷)などという人の命をないがしろにした作戦が横行したのも、今となっては当たり前のように感じる。しかし、今、現在は有事(戦争状態)ではないのです。それはそれは、平和な、平和ボケできるような時期なのにです。

そもそも、大学で、18歳以上の大人(成人)がこのような「いじめ」まがいの行為を「指導」という名で行っているのか理解に苦しむ。昔の中学生や高校生の部活動ではあるまいし・・・・これもまた、私個人の話になるが、当時私の通う中学校は不良が多く、特にサッカー部は不良のたまり場であった。もちろん、中学3年生の権力は絶対で、1年生は何でもやらされた。例えば、未成年なのに、体操着を着てタバコ屋にたばこを買いに行かされたり、〇×中学校へ喧嘩に行くから自転車のチェーンをもって集合とか、それはそれは怖かった記憶があります。しかし、昔の不良は自校の生徒には優しく、対教師、対他校には対抗心をむき出しにしていました。その行為は反社会的行動であり、内に向くような非社会的行動ではなかったように思います。それも、まだ中学生という未成年の話でした。さらに、高校のサッカー部でも先輩によるいわゆる「しごき」もありました。ここでも、やはり1年生は上級生から様々な「しごき」、例えば、練習後に「声出し」という大声を上げる訓練?をやらされました。グランドの端に1年生が並べられ中腰の姿勢で声を張り上げさせられました。その反対側で先輩が「聞こえないよ~、もっと大きな声で~」などと何度も言わせる理不尽な訓練でした。これが、サッカーにつながるとは当時の私は(今も)思いませんでした。でも、絶対服従です。ちなみに、私が3年生になりキャプテンとなってからはこの「しごき」?は廃止しました。この「しごき」は顧問の教師ももちろん知っていることですが、やはり何も問題にしませんでした。この辺は防衛大学の教官に通じるところがあるかもしれません。

防衛大学では、正義が通らないのでしょうか?理不尽が訓練なのでしょうか?頭も賢く、運動能力も長けた人たちです。だれも「いじめまがいの暴力を辞めよう!」「こんな伝統は止めよう!」という正義感のある、勇気のある人間はいなかったのでしょうか?正直、こんな学生たちが日本の防衛の、自衛隊のリーダーになるのです。しかし、このように洗脳される学生たちはやはり、中学も高校も優秀で何一つ問題のない子どもたちであったはずです。社会に疑問をもたず、親の言うように学業やスポーツに一生懸命励んできた人たちなのです。何不自由なく生活してきた人たちです。経済的にも精神的にも豊かな生活を送ってきた人たちなのです。オウム真理教で数々の犯罪に手を染めた優秀な人たちを思い出します。

18歳を過ぎて、初めて理不尽を経験し、初めて暴力を振るわれ、初めていじめを受け、初めて人前で恥を晒され、そうした苦い経験を上級生は下級生にも味合わせたいという衝動、それが防衛大学の伝統的な「指導」という名の教育なのです。そして、今回も防衛省の上層部も大学の教官もだれも責任を取らないのです。そして、これを訴えたN氏だけが、学校から消え、いつか世の中から忘れ去られるのです。何も変わらない闇の中へ・・・