ここまできた究極の「いじめ問題」

神戸市立東須磨小学校の教師間のいじめについて

「いじめの問題」がここまできましたという感じです。

子どもたちが通う学校しかり、大人が通う民間企業しかり、高級官僚の公務の仕事場でもしかり、そして、いよいよ聖域である子どもたちを預かる教育の現場でも教師間の「いじめ問題」が発覚しました。

ということは、日本という国全体が「いじめが当たり前の環境」国家だということです。やれ「体罰禁止」とか、セクハラ・パワハラ・モラハラとか、ブラック企業とかいろいろと世間を騒がしていますが、どこの業界にもあることなのです。

東日本大震災での被害者の冷静さや日本人のボランティア活動のすばらしさやサッカーワールドカップやワールドラグビーでの観客のマナーの良さが世界から称賛されている一方で、このような情けない行為が横行しているのです。今回発覚したこの事件は氷山の一角と考えなければなりません。

では、なぜこのようなことが聖域の世界(いじめをなくす立場の存在であること)である教員間で起こってしまったのか?

私の個人的な意見ですが、やはり、世界中の教育(しつけ)の世界から「体罰」を禁止し、やみくもに「ほめる教育」をした結果だと思っています。その好例を今回の事件で感じざるを得ません。

何故かというと、この事件の主犯格の女性(女帝と呼ばれていたらしいが)の環境(成育歴)が彼女を「いじめ」に向かわせたのだと思うからです。彼女の家系は祖父母から父母まで教育関係という仕事に携わってきました。そして、その環境の中でぬくぬくと何不自由なく育ってきたと思います。そうです。彼女こそ親から「体罰」をされたこともなく、「ほめる教育」で育てられたまさに見本のような典型的な環境で育った人間だったのではないでしょうか。彼女が独身であることも問題がありました。やはり、普通に人を愛し、普通に結婚して、普通に子育てを経験してこなかったことがこの事件の原因の一端ではないでしょうか。子育てを経験したことがある親なら、もし、自分の子供がいじめられたらと思うだけで身震いするはずです。男性教員3人を子分に従えてお山の上の大将として君臨していたようです。小学生ならよくあるパターンですが(どらえもんのジャイアンのような)、30歳を超えた大の大人がよりによって、子供じみたいじめをするなんて…開いた口がふさがりません。そうです。彼らは大きな子供だったのです。子供なら「いたずら」で済まされますが、大人の世界です。傷害罪なのです。強要罪なのです。れっきとした犯罪なのです。そんなこともわからない大人が教育者なのです。こんな教師たちに囲まれて、これからの日本を背負って立つ子供の教育ができるのでしょうか?もちろん、すべての教員がこのような人たちだけではありませんが、このような人間も、教員も増えていることもまた事実で、事実それがこの女性に3人もの男性教諭が不思議にも思わずに加担している現状なのです。普通ならこれはおかしいぞ、こんなことはやってはいけないと考えるはずです。が、周りの同僚も、校長もだれもこれにストップをかけなかったのです。集団心理が働いたのでしょうか?この学校では正義というものが全くなかったのです。事なかれ主義、見て見ぬふり、生徒を通わせる親も親、PTAはどうしたのでしょうか?よく多くの親が「こどものいじめを見抜けなかった」教師の責任を問う場面がありますが、被害者先生がいじめられていることをPTAは見抜けなかったのです。「いじめ」は絶対にわかります。周りの雰囲気やいじめられている本人の様子を見れば一目瞭然です。きっとこの学校でもそうでしょう。この事件の発覚は、被害者教師が適応障害を起こし、学校を休学したことからです。まるで、防衛大学校で起きたいじめ問題と全く同じで、裁判を起こさなければ発覚しなかったのです。

勉強ができるだけで、厳しくしつけ(育て)られず、甘やかされて育てられた人たちが大人になってこんな事件を引き起こすのだと思います。

「結愛」ちゃんを虐待して殺してしまった雄大被告もそうして育てられたかもしれません。彼のドキュメント番組を見ましたが、彼は決して犯罪を犯すような人ではないと周りの友達が語っていました。では、なぜ?親の育て方が現代的だったのではないでしょうか。これまで、防衛大学の闇の世界、慶応大学の集団強姦事件、財務省幹部の女性記者へのセクハラやパワハラなどなど、いろんな形の「いじめ」を見てきましたが、どれもこれも最近の事象だと思います。20年前には考えられなかった事件なのです。20年前に携帯電話がこんなに一般的になるとはだれも想像できなかったように。家庭的に裕福で、何不自由ない生活、勉強は優秀で、スポーツも万能、友達も多く人間づきあいも良かったいわゆる人格者といわれていた人たちが犯罪に手を染めてしまいます。

現在、世界の先進国または福祉先進国家では「体罰」は禁止とされています。それは大人の世界でも、子供たち、家庭環境でも暴力は法律で禁止されています。では、なぜ世界の先進地域では教育における「しつけ」の中で体罰(暴力)が禁止されたのでしょうか?おそらく、それらの国では昔、暴力による子育てが多発し、傷害事件となり、法律でしか子供たちの人権を守ることができなくなったからではないでしょうか?日本よりも先に人権問題にうるさい北欧諸国でそういった暴力事件が多発し、それゆえ、北欧諸国で体罰は全面的に禁止されたような気がします。(調査したわけではないので憶測です)

「いじめ」は「いたずら」と同じように幼少期特有の現象です。そして、個人主義から集団主義を学ぶ学齢期に誰しも経験するものなのです。昔は、厳しい親や尊敬される先生がいて、その場その場で厳しく叱ってくれたものです。時には暴力も辞さず、真剣にその子の将来を考えて厳しく指導してくれました。もちろん、指導者・教育者の理不尽な暴力は論外ですが、自分の命をかけて(この件で仕事をやめなければならないかもしれない)事の重大さや過ちを私たちに気づかせてくれたものです。現在、このような熱血先生はどこへ行ってしまったのでしょうか?自分の将来や家族のことを考えたら、法律で体罰が禁止されている以上先生たちは身動きが取れません。そして、一部の神経質で自己中心的なモンスターペアレントが教育をかき乱すのです。校長も、教育委員会もみんな事なかれ主義で動くようになってしまったのです。勉強や仕事はできるけど、人の不幸を見て喜ぶ人格者?が増えた気がします。もちろん、ほんの一部だと信じたいですが。