チャットGPTの利用について(佐藤ママvsホリエモン)
自分の子ども4人を東大理Ⅲに入れた「カリスマ教育ママ」佐藤亮子氏の発言がネット上で炎上した。その火付け役となったのが3人の知名人だ。
彼女は『NewsPicks』の討論番組で「チャットGPTは教育の敵か味方か」というテーマで、次のように回答した、GPTの利用について「教育で使うなら、12歳までと、中高と大学、一般人と分けないとダメ。12歳までは完全隔離にしてほしい。触っちゃいけない。今まで通りアナログで育てて、タブレットなんか全部捨ててほしいですよ」と発言した。
これにかみついたのが「ホリエモン」こと堀江貴文氏、脳科学者の茂木健一郎氏、そして「ひろゆき」こと西村博之氏の3人だった。堀江氏は「こいつバカでしょ笑」「まあつまり自分の子どもの自慢である東大理Ⅲとか簡単にAIが受かるようになってしまうのが嫌なんだろうな」と分析。その発言に賛同したのが茂木氏で「全面的にホリエモンに賛成。日本の入試はRace to the bottom(底辺行きの競争)だから」「通過したからと言ってたいした批評的思考は身につかない」「スマホもそうだけど、日本の中のある種の教育化石層は、やたらと新しいテクノロジーを嫌がる。だったら永遠に江戸時代の寺子屋教育でもやっていればいいと思う」と批判した。ひろゆき氏も負けていない。ツイッターで「最近の研究だと『勉強を努力できる才能』も遺伝という説が強いです。成功した教育ママは、単に優秀な遺伝子の子どもが産まれただけなのに、教育法に意味があったと思い込んでいるだけの可能性があるんですようね、、、、足立区の教壇に立って全員を東大に入れたとかなら尊敬します」と意見を述べた。
私も彼女の本を数冊読ませてもらいました。一応大学で教育学部を卒業した者にとっては、彼女の教育法はある程度理にかなっています。有名大学に子供を入れたとかではなく、親が子供にどれだけ教育(子育て)に関われるかが子供の将来に影響するのだということを学ばせてもらいました。この記事の作者は「子どもの4人を東大理Ⅲに入れたということは、裏を返せばそれだけ教育につぎ込める資金がある家だったということ。この点もアンチはかねて『結局は親ガチャ』と指摘している。」と述べていました。私もこの指摘はその通りだと思います。昨今、共働きが推奨され、待機児童なしなど保育所に幼い時から通わせる親が当たり前に(多く)なりました。現在では、家計の経済的な豊かさがなければ、親が子供に直接かかわれる時間が少なくなり、よって教育(子育て)が中途半端になる可能性があることは明らかです。精神的(安心感・チャレンジ精神など)だけでなく、好奇心や行動力、創造性も育たない家庭環境になります。結局『親ガチャ』は的を得ている表現です。
話がそれましたので元に戻します。「チャットGPTは教育の敵か味方か」というテーマに対して佐藤氏は「12歳まではアナログで」と、それに反して批判した3人はその意見に反対でした。この件に関しては、私は佐藤氏の支持派です。反対派の3人は現代のツールであるチャットというSNSを駆使していろいろな意見を公開している人たちです。彼らの意見は果たして「子育て」という視点から物事を批判しているのでしょうか?現代社会なのだからパソコンやタブレット・スマホを使った教育を、子育てを幼いころから駆使して慣れさせ、創造力を育て、新しい時代を創っていかせなければならないと考えているのでしょうか。現代社会を彩った人たちの意見は的を得ていると考えている若い人たちも多いと思いますが、私はそうは考えません。なぜなら、彼らが幼少期のときこのようなこれらの電子機器は存在していなかったはずです。彼らの幼少期の親の育て方は知りませんが、デジタル機器は確実になかったはずです。堀江氏が本格的にパソコンに触れたのは中学生からと本人はYouTubeで公表しています。茂木氏に至っては私と同学年なので、ちょうど中学時代にインベーダーゲームというパーソナルなテレビゲーム機が登場した時代でした。博之氏は一番若く、それでも任天堂のテレビゲーム機が各家庭に入り込んだ時代に幼少期を迎えているのです。日本でパソコンがパーソナルになったのは1995年代のWindows95のOSが普及した時代からです。これは28年前のことでした。このように彼らの幼少期は確実にデジタルを使って育てられていないことは明らかです。そんな彼らが、彼女を批判する根拠は何なのでしょうか?「東大理Ⅲ」に過敏に反応し、識者ぶってネット上で暴言を浴びせることはいかがなものでしょうか?「こいつバカでしょ笑」(堀江氏)は失礼極まりません。教育現場でも、仕事場でも、医療機関でさえ「いじめ」の問題が収まらないのに、ネットの中では罵詈雑言が飛び交う、それも識者の発信として、SNSを利用している知名人として、こんなことが許されるのでしょうか?テレビの世界ではBPO(放送倫理委員)なる組織が、映像の監視役をしていますが、ネット上では存在しません。それを良しとして、発言している感があります。またはこれを「言論の自由だ」と叫ぶのでしょうか?
私は毎年学習塾の説明会で、携帯電話(スマホ)やタブレットの利用の仕方の注意喚起を親にしています。今までの経験から、子供たちにはまだ自制心がありません。ついつい長時間、スマホでLineやYouTubeやゲームをしてしまいます。やはり、勉強や健康に害を及ぼすことがしばしば見受けられます。(睡眠不足など)これは紛れもない事実なのです。特に、勉強が苦手な子は、どんどんデジタルの方に頭が向いてしまします。最近では、こんな風景も当たり前になりつつあります。それはファミレスなどで、親子同士の食事会の最中でさえ、子供が食事に見向きもせずタブレットやスマホをいじって遊んでいる風景です。親戚の葬儀の時も、屋外でキャンプをしている時も、常にスマホが子供たちのそばにあります。静かにさせるにはゲームとばかり、どんな時もデジタルコンテンツを使って遊ばせます。そこには、我慢させるとか、礼儀をわきまえるとかのTPOや常識(?)がまったく考慮されていません。幼いころから(幼少期)デジタルを使うことが当たり前の世界にどっぷりつかってきたのです。おいそれと変更はできません。しかし、学齢児童になって初めて気づくのです。空間認識能力がないとか、数字の概念が理解できないとか、記憶力が弱いとか、学校の勉強を通して気づくのです。今、私も40年近くいろいろな子供たちを見てきましたが、それらの能力の欠如による学習障害は明らかにあると確信しています。昔の子どもが躓かないところを現代の子どもはいとも簡単に理解できていない、理解できないということを。これは明らかにデジタル化の弊害だと私は感じています。ですから、私も佐藤氏の意見「12歳まではアナログで」は正解だと思います。あのスティーブン・ジョブズも自分の子どもにはスマホを幼少期には持たせないと言っています。「いいね」を考案したFacebookのエンジニア、ジャスティン・ローゼンスタインも同様のことを述べています。
12歳が適当かどうかはわかりませんが、とりあえず学齢児童(学校に通う)になる前からタブレットやスマホなどのデジタル機器で「子育て」はしない方が得策だと思います。
そういえば、ひろゆき氏は「遺伝説」を唱えていましたが、野口英世や豊臣秀吉の親は貧しい農家の出ですけど・・・最近ふと思ったのが、ダウン症の子どもの顔は世界共通なのです。住む場所も環境も違ういろいろな人種や民族がいるのになぜ彼らの顔はみな同じなのか?を考えたとき、やはり人類(ホモサピエンス)は共通の祖先から成り立っているのだと思うようになりました。そう考えると遺伝で才能が変わると考える博之氏の考えはどうも狭い考えのように思えてきます。みんな同じ遺伝子を持ってつながってきたと考えるのが普通な気がします。特別な場合(生まれつきの才能)を除いてやはり子育てにはいろんな意味で生活環境が一番大切なのだと思っています。勉強も、スポーツも、芸術も、芸能も・・・・